【大東亜戦争と東京裁判史観】

- 第2話 -

◆ 日本はなぜこのような国になったのか ◆

 2年以上も続く、終息の目途がつかない世界的なパンデミックやロシアによるウクライナ侵攻。混迷する世界の情勢と、30年も続くデフレから脱却も出来ないまま物価も上がり始め、さらに追い打ちを掛けるように急激な円安が進んできました。多くの国民が経済的に苦しんでいる現状にも関わらず、我が国の政府は減税や積極財政に舵を切ろうとせず、さらなる増税も視野に入れている様子さえ伺えます。この困難から抜け出すためにどうすべきなのか。先行きの見えない、複雑な、困難な時代がやって来たのは間違いありません。

 令和の時代になった現在の日本は、なぜこのような国になってしまったのでしょうか。日本人は皆、戦後の焼け野原から一生懸命に頑張ってきたはずです。バブルが崩壊してから格差が拡がり続け、なぜ、いつまで経っても豊かにならないのでしょうか。なぜ、新卒の初任給が30年以上も変わらないのでしょうか。なぜ、30年も国民の平均所得が伸びないのでしょうか。なぜ、懸命に働いても苦しいままなのでしょうか。

 疑問を挙げ始めればキリがありませんが、その答えはやはり我が国の歴史にあると思われます。多くの日本人はあまり意識していないと思われますが、現代の日本社会にいまだに大きく影響を及ぼしている重要な歴史的事件は、太平洋戦争と改名された大東亜戦争です。

昭和が既に過去になり平成から令和になった現在、なぜ今さら太平洋戦争なのでしょうか。

 それは現在を生きる日本人こそ、太平洋戦争の真実を理解する必要があるからです。あの世界大戦の終結は、その後の国家百年の計によって日本を破壊し、日本人の精神を破壊するための始まりだった事実に、戦後の日本人はそろそろ気付かなければなりません。

 なぜなら終戦から77年が経った現在の日本の姿というものは、昭和20年8月15日から造られ始めた、新しい世界の秩序に組み込まれた未来の日本の姿でもあるからです。

◆ 太平洋戦争というプロパガンダ ◆

 終戦当時までの我が国は、大日本帝国という国でした。そして我が国が戦っていた戦争は、当時は「大東亜戦争」と呼ばれていました。それがいつからか「太平洋戦争」と呼ばれるようになりました。戦後の高度成長期に生まれた私自身も、当然ながら「太平洋戦争」と教えられました。太平洋戦争とは、アメリカと戦った対米戦争を意味します。そのことに、何の疑問も持っていませんでした。

 戦後の日本人は、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃に始まり、1945年(昭和20年)8月15日の終戦までが日本における第二次世界大戦と記憶している人が多いようです。しかし当時の日本は、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件から始まった支那事変(日中戦争)、ここから始まった昭和20年までの長い戦乱を大東亜戦争と総称していました。なぜ、この総称を変える必要があったのでしょうか。

それは、大東亜戦争という戦いには当時の日本の大義があったからです。

 白人の欧米諸国から奴隷のように植民地支配をされてきたアジアの国々と、世界の全ての有色人種を代表して白人国家と戦ったという、日本の正当な言い分が大東亜戦争の歴史に隠されているからです。この日本の大義や言い分は、敗戦後に日本人を再教育しなければならない連合国側にとって非常に都合の悪い言い分でした。戦前の日本は、世界の悪役でなければならなかったからです。

 アメリカと戦い敗北した歴史は日本人の誰もが知っています。それは事実です。しかし「なぜアメリカと戦わなければならなかったのか」この点について明確に説明出来る人は、私の周囲にはほとんどおりません。関心が薄いというのも理由の一つにありますが、そもそも正しく教えられておりません。

 事実として当時の日本は、アメリカと本気で戦って勝てるなどとは思っていませんでした。とても勝ち目がないのが分かっていたからです。それなのに戦ってしまったのが歴史の事実です。残念ながらこのような歴史の話題になると、もはやとっくに終わった遠い過去の話しとして、多くの国民は関心を持ちたがらなくなりました。

それなのになぜ、開戦と終戦の日だけは鮮明に記憶しているのでしょうか。300万人近くの多くの先人達が命を落としたからなのでしょうか。確かに、多くの尊い人命が失われた悲劇の記憶を後世に残す事は重要です。しかし真の意図はそこではなく、ある歴史観を日本人に記憶させるためだとしたら。

 悲劇の原因は全てが日本にあるという、間違った歴史観を植え付けるためだとしたら、もはや過去の終わった話しと片付け、歴史の本質を忘れてしまって良いのでしょうか。実はここに、現代の日本の問題に直結する歴史の重要性が隠されているのです。

 なぜ戦後の日本人に太平洋戦争と刷り込んだのか。それはアジアとの歴史に目を向けさせないためであり、太平洋でアメリカと戦った印象だけを日本人に植え付けるためのプロパガンダでした。連合国によるこのプロパガンダが成功し、戦後の日本人はこの歴史観に洗脳されました。

その結果、大東亜戦争の大義と日本の言い分を、戦後の日本人は記憶から消されてしまったのです。

◆東京裁判史観とウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム ◆

 戦後の日本人は学校教育とメディアのプロパガンダによって、誤った歴史認識の刷り込みと上塗りを執拗に施され、本当の歴史を見つめる事が出来ないように育てられてきました。つまり戦後の日本人は、本来の正しい歴史に目を向けることがないように、関心を持たせないように、一方的に教えられる歴史観に疑問を持たないように育てられてきたのです。

 その歴史観こそ「東京裁判史観」という歴史観です。現在の学校教育もメディアが報ずる歴史観も、日本人にこの歴史観を教え込む目的がありました。戦後の歴史教育では、戦前の日本に侵略国家のレッテルを張り、全てが「悪」と教えられました。アジア各国に侵略し、時に虐殺まで行った戦前の日本は悪の枢軸国家だったと。しかしその責任は国民ではなく日本の指導者達にあり、特に陸軍首脳部の多くの軍人達によって日本が軍国主義となり、日本を誤った方向に導いたと教えられました。日本を無謀な戦争へと導いた指導者達は、戦後行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)で戦勝国側に戦争犯罪という罪で裁かれ、A級戦犯とされ、処刑され、現在に続く平和な戦後がスタートしたという歴史です。

 これが「東京裁判史観」と呼ばれる、戦後、徹底的にプロパガンダされた歴史観です。日本の歴史に関心が薄くなった多くの国民も、大筋で記憶している歴史観です。しかしこの歴史観こそ、戦前と戦後の日本人を決定的に塗り替えた間違った歴史観であり、令和になった現在でも私達日本人を眠らせている問題の根源です。戦後の日本人は、学校やメディアからこの間違った歴史観を徹底的に刷り込まれて育てられてきました。この歴史観では、戦前の日本は100%「悪」という存在として否定され続けています。執拗に東京裁判史観の上塗りを77年も繰り返され、無意識に間違った歴史観を刷り込まれて仕上げられた現代の日本人は、そう簡単に東京裁判史観の洗脳からは抜け出せないのかも知れません。

 しかし、この歴史の事実と重要性に気付かない限り、なぜ現代の日本がこのような国になってしまったのか、その答えが見えてこないのです。この東京裁判史観は、令和になった今の時代でも私達日本人の記憶にしつこく上塗りされ、執拗に日本人に対する思想改造を継続している間違った歴史観とも言えます。この歴史観が間違いである事実に、戦後の日本人はそろそろ気が付く必要があります。

 なぜならこの歴史観こそが、日本人が抱き続ける大きな勘違いの始まりでもあるからです。日本人が刷り込まれた大きな勘違いは、軍国主義の侵略国家だった日本が敗戦によって解体され、敗戦のおかげで日本人が軍国主義から解放されて自由になったという、自虐的な歴史観です。この自虐的な歴史観を徹底的に日本人に刷り込む事によって、日本人自身が戦前の日本に抵抗感を持ち、罪悪感を持つことで、自分達の血統の黒歴史に目を向けたくなくなるのです。

 この刷り込みを始めるのに終戦は最適な機会でした。終戦後、敗戦のショックで思考をリセットされた日本人に、正しい歴史と称してデタラメな歴史観を洗脳していくプログラムだったのです。これがウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)という、国を挙げて教育現場を作り替えて実行されてきた、日本人を思考的に造り変えるための改造プログラムです。

 有名なこのプログラムを企画・立案したのは日本人ではありません。日本人の歴史の記憶を作り替えるために、連合国が練りに練った占領政策プログラムです。これを実行するために、敗戦後の日本を統治するGHQが政府を指導、監視し、占領期間中にこの教育プログラムの徹底を図りました。この方針に異議を唱える教育者は全員追放され職を失いました。教育者だけではなく、行政や政治に関わる人達もGHQの意向や占領政策に反対する人達は同様に職を失い追放されました。これも戦後の占領期に行われた、有名な「公職追放」と言われるGHQによる統制です。

敗戦国の日本はこれに従うしかなく、GHQによる占領統治の元で、多くの統制を受け続けました。

◆ 占領統治者GHQ ◆

 GHQが撤退する昭和27年までの長い間に、日本と日本人はあらゆる制度、思想、歴史認識など、現在に続く多くの勘違いを継続するための思考改造を施されました。GHQは学校では、当時の子供たちの教科書に、新しい洗脳教育に都合の悪い部分には墨を塗らせ、今まで教わった事は全て間違いなので忘れなさいと徹底しました。これは墨塗り教科書と言われ、改変された教科書で教育された当時の子供達は、将来私の世代の親世代になっていきます。彼らは洗脳教育を受けた第1世代とも言えます。

 戦時を生き抜いた大人達に対しては、ラジオや新聞などの報道機関を統制したプレスコードと呼ばれる徹底した検閲と言論統制が行われ、当然GHQへの批判も禁じられました。それまでの日本の歴史教育も否定され、歴史の強制的な矯正が日本人に実行されました。日本の言い分や戦勝国側に批判的な情報も遮断され、表現の自由も抑圧されたのです。このようにして日本人の記憶とも言える本来の歴史が、海外の勢力と彼らに加担する一部の日本人の手によって捻じ曲げられ、それが「日本の歴史」とされてしまいました。

 終戦直後に子供時代を過ごしていた第1世代への歴史教育が最も力を入れた洗脳教育であり、次世代の洗脳教育を受けることになる私の世代は洗脳の第2世代とも言えます。こうして戦後の日本人は例外なく、順調に間違った歴史観の教育を施されていきました。歴史の洗脳教育は世代を超えて繰り変えされ、私達日本人に気付かれないように長い時間を掛けて施されていきました。

 戦後生まれの私達はそのような歴史的な背景を知らず、子供の頃からなんの疑問も持たずにそのような環境で育てられた結果、文字通り「戦後の日本人」として培養されて来たのです。この占領プログラムの一環として「大東亜戦争」という呼称も使用禁止とされました。そして新たに「太平洋戦争」への呼称変更をGHQに命じられ、これが現在に続く一般的な認識となり、戦後を生きる日本人にいつまでも刷り込まれていく事になり、教科書もメディアの報道も全て太平洋戦争と表現されるようになりました。

◆ 隠されてきた日米開戦の経緯 ◆

 アメリカ合衆国という、その時代の圧倒的なマネーのパワーを持つ強大な国と対峙した結果、我々の祖先達は力尽き、残念ながらその力に屈したのは歴史の事実です。しかし、なぜそのような強大な国と戦わなくてはならなかったのでしょうか。当時の日本には、アメリカとの戦争を回避する選択肢はなかったのでしょうか。実は、私達が学んでいない真実の歴史には、アメリカとの戦争を回避する日本の国家戦略があったのです。さらには大東亜戦争を勝ち抜き、日本が生き残る戦略さえもありました。

 そのようなアメリカとの戦いを回避する戦略や、日本が生き残る戦略を徹底的に研究し、合理的な戦略を立案したのは、戦後、侵略国家日本の象徴とされ悪者とされてきた日本陸軍でした。陸軍が暴走して無謀にもアメリカとの戦争に突入していったという歴史はデタラメであり、極めて合理的な研究結果を分析し、最も冷静な判断をしていたのが戦後に悪者扱いをされ続けた日本の陸軍だったのです。

 陸軍が組織した研究機関は、日本が生き残るためにはアメリカとの全面戦争は絶対に回避し、東南アジアとインド洋でイギリスを攻略して本国への補給路を断ち、中東でドイツと合流してイギリスを陥落させる大戦略を経済的な観点から徹底的に研究立案し、極めて合理的な戦略を見出していました。

 しかし、陸軍が研究したその合理的な戦略を根底から破壊したのが、海軍による真珠湾攻撃でした。この真珠湾攻撃によって、アメリカとの全面戦争を回避するという日本の戦略が根底から破壊されたのです。真珠湾攻撃は日本を破滅に向かわせた歴史的な大事件であり、これによってアメリカという軍事大国を、一気に本気の戦闘モードへシフトアップさせてしまったのです。当時アメリカの背後で、戦後GHQを送り込んでくる勢力はこの真珠湾攻撃に歓喜しました。なぜならこれでアメリカを本気にさせ、日本への攻撃態勢と国内を一気に戦時体制に変貌できたからです。

 それは同時に大日本帝国の敗戦と、それによる日本改造への大きな第一歩に繋がり、さらにアメリカは当時の日本の同盟国だったドイツに宣戦布告を出来る口実にもなりました。当時のアメリカという国は、戦争を望んでいないアメリカ国民の意思とは正反対に、アメリカを背後から操作している組織や勢力が非常に好戦的だったのです。当時のルーズベルト大統領はその勢力の駒でしかありませんでした。

 アメリカの背後で戦争を望んでいた勢力は、アジアでは日本、ヨーロッパではドイツとイタリアを破壊することで、現在に続く戦後の新しい世界秩序を造る設計図を描いていました。結果的に日本が誘い出された真珠湾攻撃によって、その設計図が現実に近づき、ここから世界史が変わってしまいました。日本の先制攻撃によって世界史が塗り替わることを、彼らは十分に理解していたのです。

 同じようにそれを理解していたのが、我々の先人である日本陸軍でした。ゆえに陸軍の研究機関が出した結論もまた、アメリカとの全面戦争だけは絶対に回避だったのです。開戦直前の昭和16年11月下旬、陸軍の研究機関の最終報告によって、日本政府の最終結論もアメリカとの全面戦争だけは絶対に回避すると決定していたのです。

 戦後の日本人が教えられてきた、陸軍が暴走してアメリカとの無謀な戦争に突き進んだという歴史は間違った歴史であり、実際に暴走したのは真珠湾を目指した海軍の一部の軍人達だったのです。

◆ 陸軍省戦争経済研究班 通称「秋丸機関」 ◆

 近年、この歴史的な事実を一次資料から解き明かし、対英米戦を経済の観点から徹底的に研究した陸軍の秘密機関、「秋丸機関」の存在を世に知らしめた一人の歴史研究家がいます。その歴史研究家が、2015年に【日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書】という著書を出版された、近現代史研究家の林千勝先生です。この歴史的に重要な林先生の著書は、書店ではあまり見かけられません。

 それは今まで教えられてきた戦後の歴史観を大きく覆す内容の研究でもあるからです。「アジアに侵略し、無謀な対米戦争に突入した結果、大日本帝国は敗れて降伏した。」この自虐的な歴史観を、林先生の著書から学べる真実の歴史は完全に否定しています。

 私達が学校で教えられ何度もテレビで見せられてきた、戦後通説となっている自虐的な歴史観である「東京裁判史観」は、果たして真実の歴史なのでしょうか。令和の時代を生きる日本人は、現在の始まりでもあるこの歴史に、今こそ疑問を投げかけるべきだと考えます。なぜなら、全ての始まりは昭和20年の8月にあるからです。昭和20年8月の敗戦を導いた原因と本当の歴史は、別のどこかにあるのではないか。この疑問が確信に変わった時、戦後の日本の歩みと戦前の歴史認識は根底から覆ります。それによって私達が教えられてきた、戦後の日本の復興と繁栄という現代史は決して日本人の力だけで成し得た事ではなかったことが見えてきます。

 隠されてきた真実の歴史には、戦前から続く巨大な世界の構造が間違いなく存在します。77年前、アメリカとの戦いを回避する戦略を破壊された日本は敗れました。敗戦から日本人は一生懸命働いて復興を遂げ、高度経済成長を経て経済大国となり、平成初期のバブル景気を迎えました。その時代を頂点に下り坂を転げ落ちるような30年も続くデフレの時代から現在の状況に至った戦後の歴史には、日本人の知らない世界の構造が深く関係していました。戦前の真実の歴史に目を向けた時、戦後の日本の成り立ちと現在この国が置かれている本当の姿が見えてきます。情けないほどに残酷な、現在のこの国の立ち位置に気が付く事が出来るのです。

 この真実の歴史と日本の本当の姿を知らずして、これから訪れる困難な時代を乗り超える事は出来ないと考えられます。真実の歴史を理解してこそ、その困難を乗り越える知恵を見つけるスタートとなります。秋丸機関を始めとした林先生の研究から学べる真実の歴史には、いつか多くの日本人の目を覚まし、目覚めた日本人の大きな意識の集合によって本当に独立した日本を実現させる。

そんな未来の希望が少しずつ見えてきます。

つづく

第一話 【世界の構造と日本人】

第二話 【大東亜戦争と東京裁判史観】

第三話 【歴史を消された日本人】

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