【マネーの正体】

― 第7話 ―

◆ 貨幣の本質 ◆

 マネーとは、お金とは、そもそも何なのでしょうか。

 私たちは通常、お金と言えば、財布に入れて持ち歩いている硬貨や紙幣を最初にイメージすると思います。この硬貨や紙幣は一般的には「現金」と言われるお金です。では貨幣とは何なのでしょうか。貨幣とは、経済用語で言うお金の事であり、貨幣=お金、貨幣=マネーと考えて良いようです。

 「現金」はもちろんお金ですが、預金通帳に記載されている残高の「数字」もお金です。この「数字」の分だけ、銀行からいつでも引き出して現金化できるという「前提」があるため、通帳に記載されている数字であっても、それは「貨幣」と同じ価値を持つ「数字」と成り得るのです。

 一般的に、お金は働いて得られる給料や報酬、商売で取引される売買の決済などに使われるものです。現在では、このようなお金を「現金」で移動する機会もほとんどなくなり、それぞれの口座間でお金を移動させるのが一般的になりました。これはお金の歴史的には、銀行などの金融機関が通信技術の発達によってオンラインで繋がるようになった、わずか40年ほど前からのことです。

 「円の支配者」の著者、リチャード・ヴェルナー教授の研究や、当HPの別ページでも紹介している「悲劇と希望101」などから貨幣の本質であるマネーの正体を理解してくると、私たちの考えてきたお金の考え方や価値観が180度覆るかもしれません。多くの日本人が知らないお金の歴史を理解すると、私たちはもしかすると、貨幣の本質を理解していないために、お金に対して大きな勘違いをしており、そのために多くの困難や苦しみを味わっているのかもしれません。

 その点、世界の構造を造ってきたグローバリズム勢力は、お金とは何か、お金の力をどのように使うのかについて、私たちよりも非常に深く理解しています。だからこそ彼らは、マネーの力を使って世界の構造を造ってきたという歴史があるわけです。

 そもそも日本人は、民族全体が思考的にお金を武器とするような考え方は持っていません。しかし、グローバリスト達にとってのお金とは、より多くのモノやサービスを手に入れるための富ではなく、国家や人間の行動を支配するための資源や手段を、より多く手に入れるためのツールであり、強力な武器になると考えています。むしろ、お金はそのように使わなければ意味がないものとさえ考えています。

 彼らは貨幣の本質について、私たちが知らない多くのことを知っており、重要なのは、お金の「所有権」ではなく、お金の「コントロール」だと考えているのです。通常、私たちは自分の持っていないお金をコントロールすることなど想像もつかないのに対し、彼らはお金をコントロールする方法や、お金を生み出す方法さえも考え、長い時間を掛けて現在の貨幣システムや金融システムを構築してきました。

 お金をコントロールするために、彼らは世界中のほぼ全ての人間に、お金の本質を隠したり、勘違いさせたりする必要があると考えてきました。彼らの構築してきたお金の価値観を、世界中の人たちに押し付けて造ってきたのが現代の世界の構造であり、その結果、人間がお金に支配されている現在の世界が出来上がったと考えられます。

 これは、中央銀行を持っている世界中の国に共通する考え方であり、多くの人たちが中央銀行とは何か、どのように運営されているのかを理解していないとしたら、それはグローバリズム勢力が理解しているお金の本質を理解していないことと同じなのかもしれません。歴史的に、中央銀行が握っている通貨発行権や世界中の貨幣制度とは、お金の本質的な事を隠したり、誤魔化したりすることを当然のように行う人たちによって造られてきました。

 お金の本質的な考え方を簡単に言えば、お金は他の人から製品やサービスを購入するためのものです。つまりお金とは、製品やサービスの対価として多くの人たちに広く受け入れてもらえるのであれば、その形は何でも良いとも考えられます。

 日本の場合であれば、古くからお金と同じように扱われてきたのはコメでした。五穀と言われる重要な穀物や、塩にも同じような機能があったと考えられます。つまり、多くの人に必要とされるものであれば、それはお金の機能を持つものになるとも考えられます。このようにお金を考えると、本来、お金にはさまざまな形があって良い事が分かります。

 現在の私たちが生きている世界は、日本も含め世界中の多くの人たちがお金を必要としており、お金がなければ生活も教育も出来ない、完全にお金に支配されている世界でもあります。しかし、そもそもお金というものは人間が発明した決済のツールであり、人間側が支配していた取引のためのツールだったはずなのです。

 単なる決済ツールであったはずのお金が、いつしか人間の行動や生活を支配している怪物に変貌してきた事実に、現代社会を生きる私たちは気付く必要があります。この重要な事実に気付くためには、お金の歴史を理解する必要があります。そして、やはりお金にも歴史の川が存在します。お金の歴史という川を遡ると、その源流にはお金が存在しなかった時代の取引の形が存在します。つまりお金の本質は、お金の歴史の川を遡った源流にあると考えられるのです。

◆ 物々交換と商品貨幣 ◆

 貨幣がまだ誕生していない時代には、個人間の取引には「物々交換」が行われていました。簡単に言うと、欲しいものをお金で買うのではなく、それぞれが商品やサービス、労務などの提供で交換するということです。物々交換は、ある程度の限られた範囲ではありますが、個人と社会全体に、取引する者同士の、お互いの利益を正当に受け取れる機会を提供していました。

 ただしこれは、需要と供給がマッチしないとお互いの利益を手に入れることができません。これが物々交換の限界でした。しかしこの問題は、「商品貨幣」の誕生によって克服されました。様々なモノやサービスを物々交換で取引をしているうちに、多くの人たちは、特定の商品には常に高い需要があることに気付きました。

 日本の場合、コメには常に高い需要があり、いつでもほぼ全てのものと交換できることがわかりました。それ以来、コメは消費価値以上の価値を持つようになりました。つまり、コメの生産者がすでに必要なだけのコメを持っていたとしても、そのコメが他の人の製品や労力の対価として受け入れられるとわかったので、さらに栽培し、または獲得し続けたわけです。

 日本中のコメが多ければ多いほど、購買力が高まります。つまり、経済活動が活発に動くわけです。これは、コメが貨幣の機能を持つ商品として認められたから成立したわけです。コメ以外にも、大豆や麦、鶏や牛なども、信頼できる商品貨幣へと発展していきました。

 仮にコメが不作の年があったとしても、大豆や麦、家畜などのコメ以外の商品貨幣を使うことで経済活動は持続可能でした。しかし、物々交換に限界があったように、穀物や家畜などの商品貨幣にも限界が訪れます。しかし、金属が発見されると、この問題も解決されることになりました。

◆ 金属貨幣 ◆

 金属は家畜と違って、餌や水、飼育をする必要がありません。コメや大豆と違って、金属は腐ったり、虫に汚染されたり、貯蔵中にカビが生えたりする心配もありません。また、金属は簡単に分割することができました。金属でコメを買いたい人は、必要な数量を正確に割り出せるという利点ができました。こうして「金属貨幣」が誕生し、次第に金属が商品貨幣として使われるようになりました。

 日本で最初に流通した金属貨幣は、約1300年前の奈良時代、708年に発行された和同開珎という、銀や銅を用いて鋳造された硬貨と言われています。同じように、世界中で金や銀、銅や鉄などの様々な金属が使われるようになりましたが、金と銀が標準的な貨幣の材質となっていきました。物々交換や商品貨幣、その後の金属貨幣を使う貨幣システムの頃までは、それぞれの取引にメリットがありました。

 メリットの一つは透明性です。例えば、コメと牛を交換したい場合、それぞれがコメと牛を持参する必要があります。相手を騙そうとして、牛の代わりに犬を連れて行けば不正とはっきり分かります。同様に、金貨である小判でなければ買えない何かを買うなら、その人は金の小判を渡さなければなりません。相手を騙そうとして、銀の小判を商品の代金として渡そうとすれば、これも簡単に不正と分かります。

 二つ目は、取引される品物の本質的な価値です。コメが欲しい人は自分でコメを栽培して収穫する必要はなく、モノや貨幣と交換すれば手に入ります。硬貨を手に入れたい人は硬貨に変えられる何かと交換すれば良いわけです。硬貨のような金属貨幣も、コメも、大豆も牛も、ペンを動かして数字を書き込むだけでは作れないわけです。

 だからこそ、これらの品物には、それを生産した労働力やその他のコストに見合った本質的な価値が常に存在していました。つまりモノやサービスと、商品貨幣や金属貨幣の価値には、その対価を取引する際の正当な裏付けがあり、不正な取引は一般的には難しいことでもあったのです。

 このことから、世界中のどこの取引でも、取引の透明性と商品や貨幣の本質的な価値によって、取引の際に人を騙すことや欺くことは、長い間難しくなっていたのです。なぜなら、実際にコメを受け取ったのに、牛ではなく犬で支払いをしたと思わせることは不可能であり、金貨3枚の代わりに銀貨3枚で支払うことも無理があるわけです。

 しかし、物々交換が商品貨幣に発展し、商品貨幣が金や銀でできた金属貨幣に発展したように、金貨や銀貨の不便さが、やがて新しい貨幣である「紙幣」の誕生につながりました。紙幣の誕生はその後、ある人たちによって「騙しの貨幣制度」の発明に繋がりました。この発明によって、簡単に多くの人を騙せる能力、「ペンの一振り」でお金を生み出すことができる、魔法のような能力が生まれてきたのです。

◆ 預り証(レシート)という兌換紙幣 ◆

 西洋では、金貨や銀貨は金属貨幣としてかなり改善されたものでしたが、欠点もありました。例えば、ある程度裕福な人であっても、金貨や銀貨を安全に保管する場所を見つけるのは困難でした。また、大きな買い物をする時や多額のお金を移動させるときには、金貨や銀貨の重さでは隠すことが難しく、貨幣の移動には安全性の問題もありました。この二つの問題点を解決したのが金細工師でした。

 1600年代の17世紀、日本では江戸時代が始まった頃の西洋では、金細工師はその仕事柄、普段から大量の金と銀を扱っており、それを守るための非常に厳重な保管庫を持っていました。そのため金細工師の保管庫ならば、金貨や銀貨の安全な保管場所の問題を解決するのは容易なことでした。次第に金細工師は、必要なときまで金貨を安全に保管したい市民のために、自分の金庫の空いているスペースを貸し始めました。金細工師は預けた人から保管のための手数料を受け取り、預けた人は自分のお金が金庫で安全に管理されるようになりました。

 市民が金貨を預けに来た際に、金細工師は預けたことを証明する「紙の預り証」を預けた人に手渡しました。つまり100万円分の金貨を預ければ、100万円分の金貨に相当する預り証となるレシートが渡されたのです。このレシートには「要求払い」と書かれており、このレシートを持参すれば、誰でも、いつでも金貨と交換することができました。

 この預り証が、お金と同じ価値を持つ「紙幣」である兌換紙幣(だかんしへい)の始まりです。次第に市民の商品やサービスの代金として、この預り証が流通するようになっていきました。以来、預り証は「レシート・マネー」という新しい貨幣になり、これが紙でできた紙幣の原型になりました。つまり、金細工師が文字を書いただけの預り証という紙切れが、広く貨幣として市民に認められたわけです。

 このレシートが貨幣であることの価値を裏づけているのは、金細工師の金庫に保管されている実物の金貨や銀貨であり、レシートはあくまでも金貨や銀貨の代用品であるわけです。これが次第に合法的な紙幣のシステムとなっていきました。さらに時代とともに、レシートを現金化して、金細工師の金庫から重たい金貨を引き出す機会も少なくなっていきました。

 なぜなら、金貨が常に安全に保管され、いつでも手に入ると思っていた預金者たちは、いちいち実物の金貨を引き出す理由が少なくなってきたからです。レシートの方が商取引に使いやすく、ほぼすべての市民が、重い金貨をポケットに入れるよりも、紙幣となったレシートを持ち歩くほうが合理的になってきたからです。

 ここで、金貨を預かる金細工師の立場になって考えてみます。金細工師が作成したレシートは、預金者の誰からも信頼されています。文字通り「お金と同じ」価値があり、金貨や銀貨で支払うのと同じように、商品やサービスの代金として多くの人たちに広く受け入れられるようになりました。金細工師はペンで金貨や銀貨は造れませんが、それと同じ価値のある「レシート」、つまり紙幣というお金を、ペンで生み出す力はあるのです。

◆ 不換紙幣 ◆

 次第に一部の金細工師たちは、紙幣であるレシートを増刷すれば、自分たちが利益を得ることに気付いてしまいました。これは当然ながら詐欺行為に該当します。金細工師の金庫に保管されている預金者の金貨には、その金貨の所有者に発行されたレシートが存在します。同じレシートをもう一枚発行することは、お金と同じ価値のある紙幣を勝手に生み出すことであり、本来の所有者の金貨が失われる事態もあり得ます。

 例えば、A氏が金細工師の元に行き、100万円分の金貨を預けて、そのレシートを受け取ったとします。次の日、A氏とは関わりのないB氏が金細工師の元にやってきて、預金ではなく、100万円を融資して欲しいと言ってきたとします。金細工師はA氏の承諾なしに、B氏への融資に同意し、B氏にも100万円分の新しいレシートを発行して手渡しました。つまり、100万円分の金貨しかないのに200万円分のレシートが発行されたわけです。当然、金庫には100万円分の金貨しかありません。

 レシートを手に入れたB氏は、金細工師から融資を受けた100万円分のレシートを近くのお店に持って行き、何かを購入するために使ったとします。そして、そのお店のCという店主は、商品の仕入れをするための都合で実物の金貨が欲しいと思ったとします。Cという店主は、レシートを金細工師の元に持って行き、100万円分の金貨と交換し、金貨を受け取って帰っていきました。

 しかし、その次の日に、最初に100万円分の金貨を預けたA氏が、金貨を引き出そうと現れたらどうなるでしょうか。貸し出されたレシート分の金貨は、まだB氏から返却されていないのです。A氏の金貨は、融資に対応する預金がない状態で作成されたレシートなので、前日にB氏に貸し出されたレシートが店主のCに現金化されたときに、金庫から払い出されてしまったのです。

 これは非常に単純化された例であり、金細工師のしたことは詐欺行為なのですが、実はこれが「不換紙幣」と呼ばれる紙幣の本質です。不換紙幣の本質は、不当に増刷された紙幣の誕生がもたらした大きな問題の源流です。金貨を保管することで裏付けされていた「兌換紙幣」だったレシートは、レシートが不正に増刷されるにつれて、金庫内の金貨の数と整合しない「不換紙幣」という貨幣に変わってしまいました。

 金細工師がお金を貸す目的でレシートを刷れば刷るほど、そのレシートの裏づけとなる金貨の枚数は少なくなっていきます。そして市民は気付かないうちに、印刷された金額の1/2、1/4、1/10しか価値の裏づけのないレシート、つまりインチキで発行された紙幣を受け取るようになっていきました。

 多くの人たちが、製品やサービスの対価として紙のレシートを受け取ったのは、それがいつでも金貨や銀貨に交換できると信じていたからです。もし多くの人たちが、そのレシートが詐欺で発行されたレシートだと知っていたなら、商品を売り買いする際には実物の金貨を要求していたはずです。

 「物々交換」や「商品貨幣」、そして「金属貨幣」だけを使う経済であれば、購入時に実際の商品や硬貨と交換する必要があるので、他人から財産や労働力をだまし取ることは非常に難しくなります。金貨の数で裏付けされた「兌換紙幣」であるレシート・マネーによる紙幣経済では、透明性という大前提があってこそ経済が回ります。

 このことは、貨幣の本質と、貨幣の本来あるべき姿である貨幣の価値こそが、他人の製品やサービスを購入することが可能になるという原点を思い出させてくれます。私たちがお金のために働こうとするのは、苦労して稼いだお金が自分達のために役に立つと信じているから頑張って働くわけです。多くの人たちは、自分の時間や労力を、価値がないとわかっている紙切れに換えることはないはずです。

 しかし、もし誰かが金細工師のような真似をしようとした場合、ある紙幣を使って多くの人たちから商品や労働力を盗もうとするなら、または市民から搾取しようとするならば、その不正がバレないようにする最も簡単な方法は、多くの人たちにその紙幣は価値がある紙幣だと勘違いをさせることが最も効果的な方法です。それが成功すれば、お金は強力な武器へと姿を変えていくことが可能になります。

◆ 不換紙幣の合法化 ◆

 金細工師の行った不当にレシートを発行する行為は詐欺行為なのですが、これが法律によって合法化されている場合なら、詐欺にはならないようです。

 日本では140年前の明治15年、日本銀行法という法律を元に、当時の大蔵卿の松方正義という人物が中心になって、日本銀行という中央銀行が創設されました。これよって、日本中で使用できる「日本銀行券」という紙幣を発行できる中央銀行が日本にも現れました。現在の私たちが使用している紙幣も、この時代に制定された法律によって生まれてきた「日本銀行券」という貨幣です。

 この日本銀行券は、当時の日本政府の法律によって認められた「不換紙幣」として明治の日本に流通していきました。開国後の日本の貨幣制度を支えてきたのは、実はグローバリズム勢力が金細工師の不正行為からアイディアを得た、「不換紙幣」による経済システムでした。私たちの国は、日本銀行という中央銀行が創設された140年前から、裏付けのない紙幣である「不換紙幣」による貨幣システムに依存してきた国だったのです。

 近年、近現代史研究家の林千勝先生の研究によって、日本銀行はヨーロッパのグローバリズム勢力の源流でもある、ロンドンとパリのロスチャイルド家の指導の元で、松方正義が彼らの意向通りに中央銀行を創設した歴史の事実があったことが分かりました。日本以外でも、中央銀行が存在する現在の先進国の通貨はほとんどが「不換紙幣」であり、この歴史が現在まで続いているお金の歴史の川なのです。

 私自身も、私の周囲の人たちも、このようなお金の歴史を教えられた記憶はありません。多くの日本人は、その当時も現在も、貨幣の本質と通貨発行権については詳しく教えられていないはずです。なぜなら、お金の歴史という川を遡り、歴史の源流から貨幣の本質を理解すると、多くの国民が金細工師の行った詐欺行為に気付いてしまうからです。

 例えば、日本円や米ドルなどは、その国で流通している「通貨」です。中でも紙幣は、中央銀行が発行する「銀行券」という貨幣の機能を持つ、いわば紙のチケットでもあります。これは、国がこのチケットをお金と認めた法律を定め、国内外の経済的な取引の際に適用できる一定数の価値を付与しているから成立するわけです。

 たとえその通貨が不換紙幣であっても、法律で定められた通貨であれば、その通貨は詐欺で造られた通貨とはならないのです。詐欺にならない根拠とは、その通貨を発行する国家が法律によってこの通貨の価値を保障するからです。つまり、この通貨が不換紙幣で発行されている貨幣であっても、その貨幣の価値はその国の信用によって成立しており、国家がその価値を保障するという性質の貨幣なのです。

 これが国家による詐欺だと国民に気付かれないようにするためには、国民からお金の歴史という記憶を消し、貨幣の本質を勘違いさせておくための複雑怪奇な経済論を教えておけば良いだけなのです。これはアメリカの国民にも共通しており、今から100年前の1922年、フォード自動車の創設者であるヘンリー・フォードはこのような言葉を残しています。

    『国民が、通貨制度と銀行制度を理解していないのは良いことだ。                  もし理解しているのなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから。』

 この言葉こそ、グローバリズム勢力の本心とも言える言葉です。すでに100年前のアメリカでも、明治以降の日本でも状況は同じでした。中央銀行が供給していた「不換紙幣」という何の根拠もない通貨は、政府が法律によって強制的に国民に受け入れさせてきた貨幣だったわけです。

 不換紙幣の歴史は、グローバリズム勢力が各国に中央銀行を創設し、彼らが間接的に通貨発行権を握って詐欺的なマネーを創造し、法律を定める政府の権限を使って詐欺を合法化してきた歴史なのです。銀行制度を構築してきたグローバリズム勢力は、この本質を多くの人たちが理解しているなら明日の朝までに革命が起きるはずだと、真実を知らない国民を馬鹿にしているわけです。

 彼らは法律によって詐欺が合法化された時点で、詐欺が詐欺でなくなることを良く理解しており、そのためには法律を制定する政府の力が必要になることを最初から理解しているのです。そして、通貨を発行するのは政府ではなく、あくまで民間銀行である中央銀行でなければならないのです。

 さらにこれは、グローバリズム勢力が絶対に放棄しない権力でもあります。日本もアメリカも、EUやアジア各国でも、その国の通貨を発行するのは中央銀行であり、その通貨は銀行券という不換紙幣です。「銀行券」ではなく、「政府紙幣」という政府が発行した紙幣がどの国にも存在しないのはこれが根本的な理由です。

 アメリカでは過去に政府紙幣を発行したことのある大統領は二人とも暗殺されました。その二人の大統領とは、リンカーンとケネディという名の有名な大統領です。政府が通貨発行権を取り戻せば、グローバリズム勢力によるマネーの支配から脱却できることを、アメリカで暗殺された二人の大統領は良く理解していました。しかし、国民と国家の繁栄を実現させるために、政府に好きなように通貨政策を実行されてしまうと、グローバリズム勢力はマネーのパワーによる国や国民に対する経済的支配の基盤を失い、彼らの影響力が発揮できなくなるのです。

 現在でも、いまだにこの二人の大統領暗殺の真相は明らかになっておりません。

◆ 負債貨幣システム ◆

 しかし、「不換紙幣」よりもさらに性格の悪い貨幣が存在します。最後の貨幣は、現在私たちが使っている「負債貨幣」という最悪の貨幣です。これは不換紙幣の持っている特性をさらに改造して発展させ、長期的には全ての国民を、逃れられない負債の罠に誘導する、悪夢のような貨幣システムです。

 このシステムこそ、人間がお金に支配された現在の世界の貨幣システムです。これはグローバリズム勢力が考案した、通貨奴隷制度とも言える、最も狡猾で悪質な貨幣システムです。歴史的にもこのシステムは、不換紙幣の通貨を発行する中央銀行と、その正当性を法律で定める政府が協調して推進してきました。

 さらにこのシステムには、政府が国民から強制的に徴収できる「税金」という要素も加わります。負債貨幣システムで築かれてきた国家はあらゆる理屈を並べ立て、国民に必要以上に「納税の義務」を押し付け、法律による国家権力を行使して国民から富と財産と労働力を奪い取るシステムを完成させてしまいました。

 その背後にいたのは、やはりグローバリズム勢力なのです。そもそも、税法や日本銀行法という法律は、江戸時代までの日本には存在しませんでした。これらは彼らの支援によって作られた「明治政府」が制定した法律です。この時代に制定された重要な法律は、現代まで何度も法改正が行われながら生き続けており、法律で定めた権限という力は絶対的な権限であり、国民が簡単に変えられるようなものではありません。

 日本に負債貨幣システムを構築するために、日本銀行はグローバリズム勢力の指導の元で、法律によって合法化された日本銀行券という不換紙幣を発行してきました。このシステムは、貨幣を民間市場に供給する際の手段として、貨幣を単純に市場に供給するのではなく、その貨幣を「融資」によって市場に供給するというシステムです。

 現在の日本においても、通貨を民間市場に供給する方法はこれ以外にはありません。簡単に言えば、誰かが借金をしないと私たちが使えるお金は世の中に生まれてこないのです。通貨発行を英語では「マネー・クリエイション」と呼ぶそうで、簡単に意味が分かります。しかし日本の場合、この通貨発行の本質を国民に気付かせないようにするためなのか、政府や日本銀行は通貨発行のことを「信用創造」と呼んでいます。このようにして意味の分からない経済用語を用いて国民を攪乱してきたのです。

 現在の日本では通貨を市場に供給する方法は「信用創造」以外にありません。信用創造という借金から生み出された通貨を市場に供給する方法も二つしか存在しません。一つは国債発行による政府支出から民間市場に通貨を供給するルートであり、もう一つは市中銀行から民間に直接融資をして通貨を供給するルートです。私たちが手にしている「通貨」を世の中に生み出す手段は、実はこの二つのルートしか存在しないのです。

 市中銀行によって過剰な融資が行われ、民間市場に必要以上の貨幣供給が実行されてしまうと、ハイパーインフレではなくバブルが発生します。実際に80年代後半に日本銀行が人為的にバブル景気を起こした方法がこの手段でした。中央銀行が発行した大量の不換紙幣である通貨は、市中銀行からの融資によって市場に供給されました。融資を受けた個人はそのお金で住宅やクルマを購入したり、融資を受けた企業は設備投資や人件費にそのお金を使用したりしました。

 通貨を供給している段階では、融資によって大量の通貨が市場に供給されるため景気が良くなり、国民は豊かになったと錯覚を起こして勘違いをさせられ、その後お金の落とし穴に落とされるのです。なぜなら、このお金の正体は、金細工師が発行した詐欺のレシートと同じ性質を持つ「不換紙幣」であり、物理的には無限に発行できるのです。

 融資によって大量に供給された通貨は、住宅や企業の設備投資などの各経済分野に流通していきますが、貸借人は借りたお金は返済しなければならないので、借入の元金に利息を付けて銀行に返済していきます。しかし、実は返済義務があるこのお金とは、中央銀行が「無から造り出したお金」なのです。

 実際に融資手続きを行う市中銀行は、中央銀行が供給した通貨を融資によって市場に供給する窓口にしか過ぎません。融資によって世の中に供給された通貨はその後何年もかけて銀行に返済されるため、返済される元金と利息分の通貨が市場の流通からどんどん消えていくことになります。

 つまり、元金と利息を合わせた分のお金は、銀行に返済されたことによって市場の経済活動には使えなくなり、時間の経過とともに、徐々に国民全体の購買力を奪っていくことになるのです。これは、市場から国民が消費に使える通貨全体の数が少しずつ減少していくことを意味します。これを経済用語では、マネーサプライの減少と呼ぶようです。

 簡単に言えば、私たち一人一人が使えるお金そのものが世の中から減っていくという現象です。これは各個人の貯金箱や通帳の中のお金が減るのではありません。世の中で流通していなければならないお金、実際に国民が使えるお金の総量が、国民が気付かないうちにどんどん減っていくという現象なのです。

 これに国民が気付いていない段階で銀行が行う最悪の手段が、融資の引き締めです。これは、融資が行われたときだけ通貨を発行して市場にお金を流通させ、その後に融資を厳しくして通貨の供給を引き締めるという方法です。既に借りたお金はどんどん返済されていくため、最初の融資で市場に供給されたお金の総量は、返済によって市場から消えていきます。

 新たな通貨の供給を中央銀行が止めることによって、市場で使えるお金を意図的に減少させていくわけです。融資の元金だけではなく、銀行が利息分の通貨も市場から吸い上げるため、余計に通貨を減少させることになります。利息は当然、銀行の利益となります。この通貨供給のシステムは、無から供給されたお金を国民に貸し出して、銀行だけは利息を取って利益を得るという詐欺まがいのシステムです。

 お金は経済の血液とも言われますが、この現象を人間の体に例えれば、体のどこからか気付かないうちに出血していて、知らないうちにひどい貧血状態になっている状態です。出血の多さに気付かなければ、いつかは出血性ショックを引き起こし、命の危険が迫ります。これを回復させるには、まず輸血をして、出血の原因を突き止め、しかるべき治療をする必要があります。

 市場から減少してしまった通貨は、輸血をするように何らかの形で市場に供給されなければ、世の中全体から実際に使えるお金がどんどん消えていきます。輸血の役割を果たすのが通貨発行である信用創造、つまり新規の融資です。それ以外に市場に通貨を供給する方法は、国債発行による政府支出以外にはありません。日本政府はこの国債発行による財政出動は、国の借金問題というデタラメをメディアを使ってしつこく国民に刷り込み、現在も積極的に行おうとはしていません。

 その一方で、民間が新規融資を受けるためには、借金が返済可能であることが大前提です。バブルが崩壊した90年代以降のデフレの状況下では、新規融資を受けられる条件の個人も企業も減り続けるのが当然です。この結果、国民が使えるはずの、流通していなければならないお金が、時間の経過とともにどんどん世の中から消えていきました。現在の日本は、まさに重度の貧血状態とも言えるわけです。

 お金の総数が減れば元々存在していたはずのお金の量と、商品やサービスの需給バランスも崩れるため「お金の価値が上がる」ことにもなります。たとえば、貴金属や宝石が高価なのは希少価値があるからです。お金が減少してくることで、お金に少しずつ希少価値が出てくるため、お金の対価として交換する商品やサービスなどの「物価が下がる」ことになるのです。

 これによって物価が下がる現象、つまりデフレが発生してしまうわけです。国民が使えるお金の全体量が少なくなれば、皆が出費を抑えるため次第にモノが売れなくなります。そうなると需要より供給が上回り始め、商品やサービスの価格破壊が起こり始めます。つまり社会全体が安売りに走るしかなくなるわけです。しかし、流通しているお金が少なくなったために消費活動が活発になりません。商品が売れないので、もっと安くしなければとなって、さらに物価が下がります。

 これがデフレの連鎖である、負のスパイラルを日本の社会全体に引き起してきた原因です。こうして世の中がどんどん薄利多売に傾き、次第に利益を確保するための効率化と称して、人件費の削減やリストラが公然と行われ、その結果、労働者は低賃金労働や非正規雇用に追い込まれ、最悪の場合は解雇されてしまいます。

 日本のようにデフレ社会が長引くと、次第に借りたお金の返済が苦しくなる個人や企業も出てきます。しかし、国民が借金の返済に苦しくなったとしても、銀行は返済を猶予してはくれません。返済ができなくなれば、銀行は貸借人が担保として抵当に入れた土地や建物、その他の財産を没収することができます。市場から通貨を回収していくこの負債貨幣システムは、長期的に国民を貧しくし、気付かないうちに国全体を負債の罠に落としていくことが可能な貨幣システムなのです。

 日本と言う国は、なぜこのようなことをして国民全体を苦しめるのでしょうか。実は、その答えは簡単なのです。日本人が再び豊かな社会を造り、世界をリードするテクノロジーを生み出す国家として復活させないための、グローバリズム勢力が描いたストーリーに沿って時代が流れてきたからです。

◆ 課税システム ◆

 さらに、通貨を市場から消していくもう一つのシステムが税金です。日本人が子供の頃から国民の三大義務の一つとして教育されてきたのが、「納税の義務」です。この義務は憲法で定められている義務とされていますが、中央銀行の通貨発行権と不換紙幣システムを理解すれば、そもそも納税の義務など有名無実であることが理解できます。

 国民を豊かにしたり、貧しくしたりする能力を持っている日本銀行の通貨発行権を使えば、国家の全ての財源は、国民から徴収する税金に依存する必要がないことは明白です。つまり日本銀行が、国家予算分の貨幣を印刷すれば済むだけなのです。しかし、そんなことを、中央銀行を創設してきたグローバリズム勢力が許すはずがありません。彼らの目的は、日本人を貧しくすることであり、日本を溶かしてなくしてしまうことです。

 納税の義務は、公的サービスを運営する費用を賄うために国民の義務とされています。本来、この考え方は正しい考え方です。しかし、現在の貨幣システムの中では、税金の本当の正体は、多くの国民の富を没収するために機能しているシステムであり、負債貨幣システムと連動して市場の通貨を減らし、日本人を貧しくするためのシステムとして機能しているのです。

 日本には数多くの種類の税金がありますが、主要な税金の全てはバブル景気以前に制定された課税制度です。課税システムの根幹は、好景気が続いてきた戦後の約40年でほぼ全ての制度が整備されました。そして、最後の大増税は日本中がバブルに湧いていた1989年です。日本人にとどめを刺す消費税の導入の成功によって、戦後日本の全ての課税システムが完成しました。全ての課税システムの準備が整った時点でバブルを崩壊させたのです。

 バブル崩壊後の長いデフレの影響で、日本の企業の業績は下がり続けてきました。売上が下がり続ける局面でも納税の義務は絶対です。資金繰りをやりくりしながら持ちこたえていた企業も、納税の期日に間に合わせるために、納税のための資金を銀行から借りる状況に迫られるのです。そして銀行は、企業が納税するための融資にも対応しています。

 日本の企業を構成している社員はほとんどが日本人です。つまり、結果的には国民が、国家権力で強制された納税を果たすために、ここでもまた、「不換紙幣」を借りて債務を増やしてきたのです。何度も繰り返しますが、この納税のための融資として銀行から貸し出される貨幣も、金細工師の発行した詐欺のレシートと同じ性質の貨幣です。元をたどればこのお金も、日本銀行が無から創造した通貨です。

 債務と税金、この二つの逃れられない負債の罠に、今のままでは日本人は永久に苦しめられます。結果的に、この負債と税金を支払えなくなった個人や企業の行き着く先は、破産という同じゴールなのです。このようにしてバブル景気以降の日本は、政府と日本銀行が多くの国民を債務の罠に落としていく貨幣システムを構築してきました。

 これが私たちの国が落とされた罠である「負債貨幣システム」の正体です。さらに近年では奨学金制度という、高等教育を受ける若者たちを負債の罠に落とす制度も普及してきました。これは日本の多くの若者たちが、卒業後に社会に出た時にはすでに負債を負っている異常な状態です。日本人全体がこれを異常な状態だと気付かずに、奨学金が「世の中では当たり前」と認識する異常な状態にされてしまったのです。

 これも長い時間を掛けて日本人を貧しくしていく負債貨幣システムの一部です。私たち日本人はずっとこの貨幣システムの正体に気付かずに生きてきました。通貨発行権と銀行制度の本質を教えられず、マネーの正体も知らず、好景気だの不景気だのと何十年も騒ぎ立て、バブル崩壊後の30年以上ものあいだ、デフレという出口の見えないトンネルの中を歩いてきたのです。

 残念ながら、現在の私たちは持続可能な貨幣システムを全く持っていないのが現実です。現実として、現代の私たちの経済は完全にマネーと銀行に依存しています。中央銀行が十分な通貨を発行して、世の中にお金を供給するなら私たちは繁栄し、そうでなければ、私たちは飢えてしまうのです。これがマネーに支配された世界を生きている、私たち日本人の本当の姿であり、マネーを怪物に変えてきたグローバリズム勢力の歴史なのです。

 【そして世界中の無教養な債務者たちは、彼らが「借りている」お金は無から生み出されたお金であり、貸し手である銀行が稼いだお金ではないことを知らずに、その元金と利息を返済するために、毎日奴隷のように働いている。彼らは、このシステム自体が、膨張し続ける負債のブラックホールを作り出すように設計されていることも、文字通り逃れられない金融隷属のシステムであることも知らない】悲劇と希望101より抜粋

 借金の有無に関わらず、私たちが生きている世界の現実は「負債貨幣システム」の世界であり、無借金の人や企業であっても、国家が課税するシステムの中に包括されている限り、全ての人は自覚のない「無教養な債務者」であるわけです。この世界の現実に気付けるのか、気付けないのか、これは大きな違いでもあり、この現実に多くの人たちが気付かなければ、グローバリズム勢力の目的が達成されるのは時間の問題だと思われます。

 グローバリズム勢力の最終目的は、ニュー・ワールド・オーダーの実現です。この新世界秩序は「各国の政治体制と世界経済全体を支配することのできる、私的な金融支配による世界システム」の完成によって達成されるのです。私的な金融支配の世界システムは、200年以上もの長い時間を掛けて着々と築かれてきました。

 そのシステムから逃れて独立しようとした結果、彼らと対峙する状況に追い込まれた大日本帝国は、77年前の敗戦によって彼らに滅ぼされ、解体されたのです。大日本帝国を破壊した中心的な国は、アメリカ合衆国という強大な国家でした。しかし、日本を破壊してしまったアメリカも本来の姿のアメリカではなく、100年前にグローバリズム勢力の影響下にある外交問題評議会(CFR)に操られ、歪んでしまったアメリカ合衆国なのです。

 アメリカ国内には、この真実の歴史を深く理解し、真実の歴史を後世に伝えながら、リンカーン大統領の時代からずっとグローバリズム勢力と戦ってきた人たちが現在も存在します。そのアメリカ人たちは世界中のどの国民よりも現実の世界を理解しており、日米戦争も真珠湾攻撃もアメリカが日本を追い込んで誘い出した、双方が戦う必要がなかった戦争だったことも発信し続けています。

 そして世界中の人類共通の脅威は、同じ人類の中にいるグローバリズム勢力であることを世界中の人たちに発信しています。私たち日本人は、政府とメディアによって真実の歴史と正しい情報が遮断されている現代社会の現実に気付き、本来のアメリカ合衆国を取り戻すために闘ってきた、このアメリカ人たちから真実を学ぶ必要があります。

 いずれ私たち日本人も、近い将来このアメリカ人たちと連携しなければならない時代がくるはずです。それまでに一人でも多くの日本人が、真実の歴史とマネーの正体を学んでおく必要があるはずです。歴史を学ぶ本質は、人間がマネーに支配されるようになった世界構造の本質を学ぶためであり、グローバリズム勢力に歪められてきた近現代史の歴史観から脱却し、真実の近現代史を学ぶことで彼らによる支配構造に対峙する知恵を得るためです。

 人間の生活が便利になるように発明された「貨幣」というツールが、一部の人間によって多くの人間を支配するための怪物に変えられてしまった歴史に気付いた時、現在の日本人が直面している全ての問題の源流に気付くはずです。

 なぜなら、現代の日本の問題の全ての根源は「お金」に行き着くからです。貨幣の本質を変え、お金について私たちに多くの勘違いをさせ続けてきた、グローバリズム勢力の歴史を学ぶ本質がそこにあると確信します。

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